思案

駄文製造機

自己評価の話

僕は自己PRの欄を埋めたり、自己アピールすることが死ぬほど苦手である。おそらく根本的な思考に根ざしているところが大きい気がするが、実際はどうなのかはよく分からない。その辺をつらつら書いていこうと思う。

最初に断っておくが少し鬱屈とした内容になっている。雨だしね梅雨だしね仕方ないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

牛乳の中にいる蝿、その白黒はよくわかる、

どんな人かは、着ているものでわかる、

天気が良いか悪いかもわかる、

林檎の木を見ればどんな林檎だかわかる、

樹脂を見れば木がわかる、

皆がみな同じであれば、よくわかる、

働き者か怠け者かもわかる、

何だってわかる、自分のこと以外なら。


襟を見れば、胴衣の値打ちがわかる、

法衣を見れば、修道僧の位がわかる、

従者を見れば、主人がわかる、

頭を覆っているものをみれば、どこの修道女かすぐわかる、

誰かが隠語を話してもちゃんとわかる、

道化を見れば、好物をどれほどもらっているかがわかる、

樽を見れば、どんな葡萄酒かがわかる、

何だってわかる、自分のこと以外なら。


馬と騾馬の違いもわかる、

馬の荷か騾馬の荷か、それもよくわかる、

ビエトリスであろうとベレであろうと、知ってる女はよくわかる、

どんな数でも計算用の珠を使って計算する仕方もわかる、

起きているか眠っているかもわかる、

ボヘミヤの異端、フス派の過ちもわかる、

ローマ法王の権威もわかる、

何だってわかる、自分のこと以外なら。


詩会の選者よ、要するに何だってわかる、

血色のよい顔と青白い顔の区別もわかる、

すべてに終末をもたらす死もわかる、

何だってわかる、自分のこと以外なら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みんな大好きヴィヨンの軽口のバラード。僕はこの詩が大好きである。え?ヴィヨンを知らない?少なくともファンキー加藤よりは有名だと思ってた。

 

僕には分かる、何だって分かる、と思ってた時期もあった。僕に出来ないことはないし僕に分からないことはない。出処の分からない自信に満ち溢れていた僕は確かにいた。

 

 

でもいざ少し広い世界に出てみると僕は本当に何も分かってない。無知の極みである。周りと比べると何もできない、ひたすら劣っている存在で、僕の上には必ず誰かがいる。世界の広さを知って、自分の無知を思い知った。無知の知とかいう言葉を見つけた昔の人は偉い。昔のあんた凄いよまったく。

 

要するに何だって分かるのだ、自分のこと以外は。ヴィヨンの詩は深いところにぐさりと突き刺さる。

 

 

それゆえ僕は常に自分は底辺にいる人間だと思っている。何の分野にしても僕はその中の底辺にいて、謙虚にしながら周りから学ばなければならない。そう思うことにしている。

 

知らない内にあまりよろしくない思考回路が出来上がっていた。夢を見ようと思っても、結局なるようにしかならない。気になる人がいても僕とじゃ釣り合わない、相手が可哀想だ。でも僕だって人間だ、1人の男だ。夢を追っていきたいし、愛する人の1人くらい幸せにしたい。でも果たして僕にそんな力があるんだろうか。

 

今日は何だかぼーっとそんなことを考えることが多かった。謙虚な姿勢は大切だが、自己評価を低く見すぎるのも考えものなのかもしれない。僕のようになってしまうぞ。

 

独身貴族まっしぐらの僕、これからどうなるのか。